
はじめに
AI予測ツールの活用事例で「欠品率が下がった」「廃棄ロスが減った」「在庫コストが改善した」——そういった話を耳にしたとき、「じゃあコスト予測にも使えるのでは」と思ったのは自分だけではないはずです。 SAP Analytics Cloudで実際に試してみたところ、最初の一歩で壁にぶつかりました。しかし、その壁を掘り下げていくうちに、「予測」と「シミュレーション」の使い分けが見えてきました。その過程で気づいたことを整理します。
※ データサイエンスの専門家には基本的な内容かもしれませんが、実装を通じて自分なりに腹落ちした過程の記録です。
第1章:コスト予測を試みて、最初の壁にぶつかった
需要予測と同じ発想で試みた
需要予測でAIが有効なのは、天候・曜日・プロモーション・競合の特売といった複数の要因が複雑に絡み合い、人間が計算式を書けないからだと理解していました。であればコスト予測にも同じ発想が使えるはず、と考えたのです。 具体的には、内部システムのコスト予測を試みました。ツールにデータを投入し、インフルエンサー(変動要因)を設定して実行したところ、最初のつまずきは少し予想外の場所にありました。
インフルエンサーの未来値はどこから来るのか
コスト予測の場合、「原材料価格」や「為替レート」をインフルエンサーに設定するのが自然な発想です。これらは明らかにコストに影響するからです。 実際、過去の期間を学習データ、その後の期間を検証データとして使う場合、検証期間の実績値はすでに手元にあります。これをインフルエンサーとして投入すると、「値がわかっていた場合にこれだけ精度が出る」という検証はできます。ここまでは良かったのですが。 問題は実運用です。「来月のコストを予測したい」ということは、「来月の原材料価格がわかればコストもわかる」ということです。でも来月の原材料価格は誰にもわかりません。例えば航空会社の燃油費は、シンガポールのケロシン(灯油・ジェット燃料)市況価格(ドル建て)と円ドル為替レートの掛け算でほぼ決まると認識していますが、この2つの未来値を予測することは、世界中の金融機関が巨費を投じて取り組んでいるような問題です。自身で何とかできる問題ではありませんでした。
では何をインフルエンサーにすべきか
ここで気づいたのが、インフルエンサーには「未来値が手に入る変数」と「手に入らない変数」がある、という分類です。インフルエンサー機能を活かせるかどうかは、ツールの性能よりも「その変数の未来値が手に入るかどうか」で決まる、と気づきました。 その月の営業日数、祝日・連休の有無、既に確定しているキャンペーンの予定、季節・月といった変数は、将来についても値が既知です。こういった「未来が既知のインフルエンサー」を使う場合は、実運用でも精度向上の効果が得られます。一方、原材料価格や為替レートのような外部市況は「未来が未知」であり、インフルエンサー機能を使っても実運用では変わらないのです。
「予測が得意な問題」と「苦手な問題」の分岐点
ここで整理されたのが、AI予測が得意な問題と苦手な問題の差です。AIが本領を発揮するのは、次のような条件が揃う問題です。
- 計算式が書けない:天候・曜日・プロモーションなどが複雑に絡み合い、人間が数式で表現できない
- 社内の活動結果が主因:外部市況ではなく、自社の販売活動・顧客行動が変動を左右する
- 過去に再現性がある:季節性・曜日・トレンドなど、繰り返す構造がデータの中に存在する
- インフルエンサーの未来値が手に入る:営業日数・祝日・確定済みイベントなど、将来でも値が既知の変数を使える
逆に、外部市況に依存するコストはこれらの条件を満たしません。これはツールの性能の問題ではなく、お題そのものの性質の問題だ、と気づいた時点が最初の大きな壁でした。
第2章:「量×単価」に分解すると見えたこと
試行錯誤の中で気づいたのが、コストを「量(Volume)」と「単価(Price)」に分解すると問題が整理される、ということでした。あとで調べたところ、製造業の原価管理では昔からこの分解でコストの増減要因を分析する手法があることがわかりました。
コスト = 量(Volume) × 単価(Price)
量はAIが得意な領域だった
量とは、原材料の使用量・電力消費量・必要人員数・仕入量など「どれだけ使うか」を示す部分です。これは自社の需要や業務量に連動する——つまり社内の活動結果が主因です。AIが最も得意な領域でした。
単価は「仮定を置く」問題だった
一方、単価——原材料の調達価格・電力単価・時給・賃料など「いくらで手に入れるか」を示す部分——は外部市況・政策・契約条件に左右されます。航空会社であれば燃油の仕入単価がこれにあたります。AIに予測させる問題ではなく、人間が「仮定を置く」問題だと整理できたおかげで、やるべきことが明確になりました。
役割分担が整理された
- 量(Volume)の予測 → AIに任せる
- 単価(Price)の仮定 → 人間(経営企画など)が設定する
- コストの算出 → 「予測した量」×「設定した単価」をシステムが計算する
この分解に至って初めて、「原材料費が10%上がったら利益はどう変わるか」「円安が5円進んだらコストにどう影響するか」といった感度分析が自然な形で設計できることが見えてきました。「予測」ではなく「シミュレーション」にたどり着いた瞬間でした。
【掘り下げ:量と単価の連動について】
「値下げしたから量が増える(価格弾力性)」「発注量が増えればボリュームディスカウントで単価が下がる」といった疑問が出ました。突き詰めると「量が決まらないと単価が決まらず、単価がわからないと量も決まらない」という鶏と卵の問題になります。
これは数学的には連立方程式です。ただし実務では、「人間が単価の前提を先に固定する」という割り切りで対応できます。人間が「値引きキャンペーンの予定」「発注量に応じた割引ルール」をシステムに先に入力し、AIはそれをインフルエンサーとして受け取り、量を予測します。量が出た後、その量に応じた割引ルールをシステムが適用して最終単価を確定する、という順序です。
「同時に解く」のではなく「1サイクル遅れで近似する」というアプローチは、月次・四半期単位で計画を見直す実務の運用サイクルと組み合わせることで十分に機能します。量と単価を一つのAIモデルに丸投げするより、「人間が前提を置き、AIが量を計算する」役割分担を維持することで、なぜそのコストになったのか説明できる透明性が保たれます。
第3章:この経験から整理したAI予測が輝く条件
この試行錯誤を通じて、AI予測が本来の力を発揮できる条件が整理されてきました。
- 社内データが蓄積されている:過去の実績データが十分にある。データが少ない新規事業や構造変化直後の期間は精度が出にくい
- 外部市況への依存が少ない:変動の主因が自社の顧客行動・販売活動・業務量など、社内に起因するものである
- インフルエンサーの未来値が手に入る:カレンダー情報・祝日・既確定のイベントなど、将来についても値が既知の変数を使える
- 計算式が書けないほど複雑な関係がある:単純な計算式で表せないほど多くの要因が絡み合い、その交互作用をデータから学習させる意味がある
- 予測精度が業務判断に直結する:精度が1%改善することで、在庫コストが下がる・廃棄ロスが減るなど、具体的な業務改善につながる
おわりに:たどり着いた結論
この試行錯誤を通じて、以下の結論に至りました。
「これは予測の問題か、それともシミュレーションの問題か」
変動の主因が社内にある・計算式が書けないほど複雑・過去パターンに再現性がある
——そういう問題なら「予測」が向いています。
変動の主因が外部市況にある・計算式が明確・人間が仮定を置くことで意思決定できる
——そういう問題なら「シミュレーション」が向いています。
そして多くのコスト予測の問題は、「量はAI予測・単価はシミュレーション」という組み合わせで解くのが現実的だ、というのが自分なりの結論です。同じ試行錯誤をする人の参考になれば幸いです。